JUGEMテーマ:国内小旅行

(文責・堀内)

 

 城は戦略的に重要な場所に建てられるが、中には意外な所に意外な城がある。

 

1.津山城(旧津山藩・岡山県津山市)

 津山という場所に地理的・歴史的重要性はなく、実際に行くとかつては姫路城(61棟)、熊本城(49棟)を凌ぐ77棟の櫓が林立していた壮大な城郭に驚かされる。現存する遺構は主郭のみで櫓も復元された備中櫓一棟だけだが、規模は姫路城とほぼ同じで造作のレベルも高い。実は天下普請ではなく、入封した森忠政(森蘭丸の弟)が13年の歳月を掛け、独力で築き上げたワンオフの城。10万石の大名には過剰な城のため領民は酷税に苦しみ、津山では徳川時代全期を通じて一揆が多発した。同様の領民イジメの城としては藩主が芸術家だった秋田県の久保田城がある。

 

津山城

 

2.二本松城(旧二本松藩・福島県二本松市)

 蒲生氏郷や上杉景勝が改修を加え、丹羽氏が仕上げた東北の堅城。戊辰戦争の二本松少年隊の悲劇で知られる。若松城の支城として築城され、規模は大きく縄張りも巧妙で石垣も高い。通常の攻撃ではまず落ちそうにないように見えるが、実は城が巨大すぎて城兵が足りなかった。北の伊達氏に対する備えだが、戊辰戦争の最前線は南のより狭小で防御力の低い白河小峰城にあった。白河口の戦いで出兵した二本松藩が大敗したことから、守る者のいなくなった本城はあえなく落城したが、巨大で複雑な城のため、出兵しなくても二千人の藩単独での全郭防御は困難であったと考えられる。

 

二本松城

 

3.和歌山城(旧紀州藩・和歌山県和歌山市)

 紀伊半島の西端で地理的に孤立している和歌山は歴史の表舞台に出たことがなく、城も紀州徳川藩の主城というほかないが、規模だけは大阪城並み(現存規模は往時の四分の一)の巨城。実戦に用いる企図は当初からなく、天守も三層しかない。城郭建築が進んだ江戸期の築城にも関わらず、石垣は「石を積んだら石垣になった」と言わんばかりの投げやりな石積みが特徴である。技術のなさで端ごとに傾斜も異なる石垣は良く崩れ、補強するために後に積まれた石垣と崩れた土砂が独特の奇観奇景を呈している。天守に比べ御殿にはかなりの敷地が割かれ、三百諸藩の中でも特に策謀に長けた同藩の陰謀の多くがここで囁かれた。

 

 めぼしい産業のない藩の財政は苦しく、貢納不足から幕府に工作して借財で乗り切るパターンが常態化した。政治工作の手練手管に200年間磨きを掛け、吉宗、家茂の二人の将軍と大岡越前、そして田沼意次を中央に送り込んだが幕府の蓄えも200年間持ち出され、同藩の放漫財政は幕府衰退の遠因となった。

 

和歌山城

 

 

 

店名バナー


Calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

Archive

Mobile

qrcode

Selected Entry

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM