JUGEMテーマ:社会の出来事

 

(文責:堀内)

 

 改正案の条文は難渋だが、基本的な構造はごく簡単で、公務員一般の定年延長を規定した国公法81条の3を改正した81条の7を下敷きに、「人事院の承認」の部分を「内閣」に差し替えて検察庁法22条に上書きしただけのものである。あまり出来の良い法律とは言えず、首相の意を受けた内閣官房が即興ででっち上げた感が拭えない。

 

 検察庁法が特殊なのは、これが裁判所法と同じく、新しく制定された日本国憲法の理念を体現するものとして作られたことによる。刑事訴訟法も同じ時期に改正され、この三法はGHQの占領時代にやがて来る占領解除の日に備え、憲法の理念を刑事司法に及ぼすものとして作られた。つまり、民法に対するそれ(家族法の全面的改正)以上にこれら三法は日本国憲法とは切っても切れない関係があり、改正は憲法との整合性を抜きには語れない。

 

 日本国憲法77条2項は「検察官は、最高裁判所の定めた規則」に従うとあり、これは検察が起訴不起訴の判断をする準司法権(起訴便宜主義)を持つことによる。自民党の改正案は定年人事を梃子に検察行政に介入するものだが、これで与党政治家のスキャンダルが起訴を免れることがあれば、行政に対する司法のチェック機能は喪失し、三権分立を大きく損なうことになる。

 

 

 ただ、これのみで改正案を悪法とすることには疑問もある。三権分立はフランスの思想家モンテスキューによって主張されたが、議院内閣制を採る日本で完全な形で履践されたことはない。安倍首相の「私は立法府の長」という言葉にもあるように、現在の自民党は事実上執行部が行政権と立法権を併有しており、法案提出の大部分が議員ではなく内閣提出のものである。

 

 実態がそうであれば、成り行きで司法権も手中に収めることは、分立の議論はともかく、政治理論としては許容されるのではないか。そもそもモンテスキューの理論は圧倒的な強者(絶対君主)に対し、貴族が権利を主張するために編み出した理論であり、現代とは時代を異にしている。

 

 行政・立法・司法の三権は元来は君主のものであったが、各々ベクトルを異にし、別々の人間が持つことが望ましい。なぜならば、そうでなければ自由がなくなるからである。自由が目的であり、法の支配はそれを保障するものというのが彼の理論だが、政治権力を人治や徳から切り離し、純粋な機構として把握する理論は英国やフランスにおける実践的な政治過程の観察から編み出され、それを建国から最も徹底的に履践しているのがアメリカ合衆国である。

 

シャルル・ド・モンテスキュー(1689〜1755)

 

 この議論には一つの示唆がある。モンテスキューは啓蒙主義の影響を受けた開明的な貴族として、自由(リベルテ)に最大の価値を置いていたが、経済的・社会的理由から自らの意思で自由を売り渡す人間、今の日本人のような、には、自由にはさほどの価値はなく、それを保障するシステムの重要性も下がるのではないか。現在の政権はそれを見抜いた上で、あえて露悪的な行いを続けているのではないか。だとすれば自由を制限するこの改正案はフランス人やアメリカ人には我慢ならないが、日本人なら受け容れられるのではないか。

 

 なんともおぞましい話である。自らを劣等民族と認めるような、しかし、そうでないことは、このコロナ渦の渦中における市井の人々の行動が示している。あるホテルは客が来ずに余ったビールを販売して一定割合を医療従事者に寄付することを思いついた。とある雑誌は閑古鳥の飲食店相手に「将来の」飲食物をチケットとして販売し、これら店舗の糊口をしのぐことを考えた。そして当局から散々閉業を指南されたパチンコ店は、私個人は「人間終了」のパチンコ中毒者に一抹の同情も感じないが、自粛要請を無視して果敢に営業を続けた。

 

 結局のところ、自由こそが最悪の危機の中で未来を切り拓く礎なのである。全てがうまく行くとは限らず、中には塗炭の苦しみを舐めることもあるだろう。しかし、自由な行動が保障されず、自由を行使できなければ、かつてヤミ米の購入をためらって餓死した判事のように、その行く先には絶望しかないのであり、自由は社会存続に不可欠の構成要素である。

 

 「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグに顕現される人々の反感は一過性のものではなく根源的なものである。法律につき勉強しているか否かは関係ない。ある者は俳優など表現者として、またある者は生活者として、法案により日々の自由が制限されることに危機を感じたからこそ反対運動に打って出たのであり、これらは単なる扇動とは質的に異なる。

 

 

 コロナ後の時代に必要なことは専制ではなく、新しい時代に適応した自由である。何が正しいか分からない状況では、チャレンジはやってみなければ分からない。安易な権力の集中に導かれ、誤った路線を進めば、共同体全てがハーメルンの笛のごとく溺死するが、権力を分散すれば生き延びる者も出てくる。

 

 ドイツのメルケル首相は東ドイツに育った自分が自由を制限することは断腸の思いとし、行動制限を発令したが、その背後には旧社会主義国の出身として、ようやく得た自由の価値を噛み締める逡巡があった。感染症相手には規制はやむを得ないものであったが、政府に従ったことにはドイツ国民個々の自律した判断があった。我が国においても、ドイツに比べればはるかに出来の悪い緊急事態宣言の発出で多くの国民は自発的に外出を自粛したが、それは成熟した国民のそれであったと信じたいものである。

 

 つまり、外出の自粛とパチンコ店の営業は同一の地平にあり矛盾しない。自粛警察は民衆に対するテロリズムにすぎず、為政者がその点を履き違えれば、国を傾けるのみならず、手痛いしっぺ返しが待っている。

 

(追記)
 反対運動の高まりから、内閣は国公法関連法案も含む改正案を撤回したが、採決で否決された法案は廃案となるのが慣例なので、ここは提出を見合わせて法案の温存を図ったと考えられる。ほとぼりが冷めた頃に再提出して可決を図るつもりなのだろう。該当部分を削除して提出すれば可決された法案なので、全面的な撤回は野党に対する意地か、他に理由があるのかは定かではない。

 

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