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(文責:河野)

 

 今年は天皇の代替わりがあり、元号が「令和」に改まりました。200年ぶりという天皇の譲位でしたが、滞りなく即位の礼が行われ、新天皇が誕生しました。

 しかし歴史を振り返ってみると、奈良時代以来、皇位継承をめぐる争いはたびたび大きな戦乱を引き起こしてきました。天皇即位の後ろ盾になることにより、絶大な権力を振るうことが可能になったからです。 

 さらに時代をさかのぼると、皇位継承をめぐって天皇家の中の争いから大乱に発展した歴史もあります。その舞台となったのが、私の住む地元、大津です。

 大化の改新を行なった中大兄皇子は667年、都を飛鳥から大津に移し即位して天智天皇となりますが、その5年後には病に倒れ、崩御します。その後、誰が皇位を継ぐかで争いが起こました。「壬申の乱」です。

 このとき敗れ去った敗軍の将、天智天皇の子である大友皇子の「葬り塚」があると聞いて、膳所にある「茶臼山古墳」を訪れてみました。

 

 

 「茶臼山古墳」は4世紀末から5世紀ごろに築かれた前方後円墳で、古墳時代の近江を代表する首長の墓だと考えられています。現在は周辺が「茶臼山公園」として整備されており、グラウンドから、古墳の全景を見ることができます。

 

 

 その前方後円墳の、後円部にあたるところに登る階段があります。上には小さな社があり、その奥に、大友皇子とその子供、そして最後まで皇子に従ってきた舎人らを葬ったと伝わる塚が残されています。

 

 

 

 天智天皇亡きあと、皇位を争うことになったのは天皇の子、大友皇子と天皇の弟、大海人皇子でした。もともと兄と不仲だった大海人皇子は、天智天皇が病床で皇位を継ぐよう迫ったものの、これを固辞して出家し吉野へ去りました。しかし天皇が崩御すると吉野を脱出、東国の兵を動かし、大友軍との間で瀬田川をはさんで激戦を繰り広げます。

 しかし大友皇子は、天智天皇の治世に起こった白村江の戦いでの敗北で痛手を受けていたこともあり、兵力を動員できなかったようです。追い詰められた大友皇子は、自ら命を絶ったといわれています。

 

 この皇位継承の戦いに勝利した大海人皇子は、大津にあった都を再び飛鳥に移したため、大津宮はわずか5年で廃都となりました。古墳の上にある葬り塚の伝承は、ただ静かに連綿と続いてきたかに見える天皇家にも激動の時代があったことを思い起こさせてくれました。

 

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