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(文責:河野)

 

 大津市にある園城寺に伝わる文書が、ユネスコの「世界の記憶」に登録されることが決まった、という記事を新聞で読み、ちょっと、見に行ってきました。

 

園城寺・仁王門

 

 園城寺は「おんじょうじ」と読みますが、別名「三井寺(みいでら)」として親しまれています。天台寺門宗の総本山です。天台宗の総本山といえば、比叡山延暦寺ですが、こちらは天台宗山門派。長きに渡るライバル関係で、平安時代以降争いが絶えず、それは僧兵による武力行使にまで及んで焼き討ちに遭ったといわれています。

 

国宝の本堂、建物横にはお祝いの垂れ幕が。

 

 近江八景「三井の晩鐘」で知られる鐘楼の梵鐘は奈良時代の作とされていますが、山門と称される延暦寺との抗争の際、弁慶が奪って比叡山へ持ち去ったものの、撞いてみると「イノー、イノー(関西弁で帰りたい、の意)」と響いたおで起こった弁慶はその鐘を谷へ投げ捨てた、という伝説が残されています。

 

 そんなわけで、三井寺には、その名も「べんべん」という、この弁慶の引き摺り鐘をモチーフにしたゆるキャラがいたりして、なんとなく、歴史上のヒーロー、源義経の郎党として活躍した弁慶のキャラを思いっきり立てているわけですが、よくよく考えてみると、延暦寺の僧兵だった弁慶は、園城寺にとっては「敵キャラ」なわけで、敵をも味方にする?不思議な雰囲気があるのかなあ、などと思ったりします。

 

 参道沿いには、ユネスコ「世界の記録」登録を祝うのぼりが立てられ、祝賀ムードのただよう境内ですが、その「世界の記録」となった問題の文書は、文化財収蔵庫に展示され、見ることができました。

 

 園城寺は、もともと壬申の乱に斃れた大友皇子を慰霊するために建立された寺で、のちに、延暦寺で学び唐へ留学した僧、円珍が帰国後に再興、その後の発展の基礎を築きました。このほど「世界の記録」に登録されたのは、この円珍が唐に留学した犀、唐の役所が発行した「過所」と呼ばれる通行許可証(国宝)など、中国との文化交流の記録を残す文書です。2通残る「過所」は855年に唐の都・長安を訪れた際に発給されたものだそうですが、端正な文字で綴られたその文書は、とても1100年以上前のものとは思えない美しさで、大切に伝えられてきたことが感じられました。

 

 当時、唐へ渡るには、まず京都から九州の太宰府へ行き、そこから五島列島・福江島の三井楽というところへ渡ったのだそうです。五島の三井楽は、遣唐使の船の最終寄港地で、そこから東シナ海を横断して、唐をめざしたのでした。

 

 奇しくも30代前半に友人との中国旅行で長安(現在は西安)を訪れたことがあり、また城めぐりで太宰府、五島の福江島にも行ったことがあったので、それぞれの風景を思い浮かべることができました。1000年前のその旅は、どれほどの苦難がともなっていたことでしょうか。しかしその旅の途上では、多くの人の親切にも出会ったにちがいなく、こうして文化は持ち運ばれてきたのだなあと、感慨を深くしました。

 

本家力軒の「三井寺辨慶力餅」

 

 おみやげには、名物の「三井寺辨慶力餅」を三井寺境内の、観音堂への道の途中にあるお店(本家力軒)で購入しました。求肥のお餅に、きな粉と抹茶、和三盆糖をまぜあわせた緑の粉をたっぷりまぶしたもので、ほんのりとした甘さとお茶の苦味が、とてもおいしかったです。日持ちがしないためネット販売などはせず、お店もここだけ、というこだわりぶり。

 

 しかしですね、境内の中にあるので、拝観料を払わないとお店には行けないのだろうか? もう一軒、浜大津に三井寺力餅というお店があり、こちらはお土産物としてパーキングエリアなどでも販売されているようですが、私のみるところ、お味は本家力軒の方がおいしいように思いました。

 

 園城寺(三井寺)境内では、「るろうに剣心」や「武士の献立」などなど、映画、ドラマのロケも行われているようで、ぐるっと境内を一周するだけでも、目に楽しく変化に富んだ伽藍や石垣の風景が楽しめ、お寺参りってエンタメだな、なんて思った次第でした。

 

店名バナー

 


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