JUGEMテーマ:手作り石けん

 

(文責:堀内)

 

 

 徳川家康が鯛の天ぷらの食中毒で命を落とした話は有名ですが、その揚げ油には諸説あります。山岡荘八の「徳川家康」の記述では、鷹狩りの帰路に田中城(藤枝市)に滞在していた家康を訪れた茶屋四郎次郎(三代目)が上方で流行の料理として持参したオリーブ油を使い、領民から献上された鯛を手づから調理して家康に供したことになっています。

 

 

 ここで気になるのはオリーブ油貿易は古代ローマの時代には地中海で盛んに行われていたものの、中世ではほとんど絶えていたこと。当時天ぷらという料理はまだ普及しておらず、ポルトガル宣教師が伝えたそれも砂糖で味付けした衣をラードで揚げるドーナツに近い代物ですが、そこでもオリーブ油は用いられていないこと。これは中国伝来の索餅をラードで揚げた長崎銘菓の麻花兒が東西折衷の調理法として近いものがあります。

 

 当時の時点でありそうな揚げ油を挙げますと、現在でも使われているなたね油は中国から伝来し、大阪を中心に生産が始まっていました。これは搾油が容易で収量も多く、家康天ぷらの有力候補です。なたね油以前は荏胡麻油(シソ油)が主流でしたが、家康の時代にはなたね油の普及で競争力を失い油座は解体しており、また搾油も少量で価格も高かったことから、可能性はありますがごく低いはず。

 

 胡麻油は起源がいつかもわからないほど古い油で当然この時代にもありましたし、酸化に強く天ぷら向けといえるほど性質の良い油でもありますが、元は熱帯植物で日本ではあまり普及しませんでした。後の江戸の天ぷらの揚げ油は胡麻油ですから利用に問題があったとは思えません。栄養価も高いので、家康の時代は搾油用より食用としてのニーズの方があったようです。ほか、椿油などありますが、希少すぎるので対象外とします。

 

 

 割と典拠のハッキリしたものとして挙げられるのが「徳川実紀」の記述にある「榧(かや)の油」ですが、この史書の編纂は家康の死の200年も後で、これまで挙げた油に比べると製法も複雑で収量も少ないことから、香り付けに使うならともかく(天ぷら店の使い方)、これまで一度も主流になったことのない油がここに来て出てくるのもどうかと。そもそも「実記」の記録なら山岡荘八が知らないはずない。

 

 ヤシ油については現在主流のアブラヤシはまだアジアに存在しておらず、ココヤシ(コプラ)しかありません。これは東南アジアの熱帯を中心に自生している植物ですが、オリーブ同様日本では育たないため完全な輸入品になります。

 

 「佐和山」を制作する際に当時ありそうな油については一通り検討したのですが、南蛮渡来のカスティール石けんを見て家康が作らせた石けん(東照宮遺品)はフレーク状の「石けんのような何か」でした。当舎で販売する以上はフレークではなく、実用に耐える商品にする必要がありますので、これは言い伝えの要素も勘案しつつ検討を進めたいと思います。

 

 

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